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※・文献@
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⇒●文章引用元URL●⇒
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余談だが
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この正本堂(しょうほんどう)、
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須弥壇
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(しゅみだん:本尊を安置する壇)
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の手前に置かれた経机
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(きょうづくえ:中に経本が
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入り・上面に線香を点す香炉を置く。
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別名『大前机(おおまえづくえ)』)
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に、のちに問題となった
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レリーフがあった。男性が半裸で
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寝そべっている姿が浮き彫りに
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なっているのだが、このモデルが
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なんと池田氏だというのである。
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私も物好きなので
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しげしげと眺めたが、
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なるほどそっくりである。
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「あれ、先生ですか?」
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池田氏に・そう聞くと、
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「いや、あれは
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誰かがイタズラしたんだ」
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とニヤニヤ笑っていた。
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真正面の大御本尊を拝むと同時に、
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池田氏似の半裸のレリーフも
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拝むことになる位置関係だ。
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会員からもさすがに
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不信の声が出ていた。
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・
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・・・『私が愛した池田大作』
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矢野絢也著
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・
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正本堂(今は・もうありません)の
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大御本尊の前に、
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導師用の経机があるのですが、
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その前面(導師から見て正面)に
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池田氏そっくりの彫刻が
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あるというのです。
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ちょっと、ゾっとしますね。
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・
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そんなとこに自分の彫刻を作って
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拝ませるなんて・・・。
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虚栄心の表れでしょうか。
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とにかく、趣味悪いです。
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・
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まあ、正本堂自体が、
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池田の野望の権化みたいなもの
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だったので、壊して正解ですね。
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・
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※・文献A
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⇒●文章引用元URL●⇒
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解体工事で判明した
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名建築・正本堂の惨状
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年間10億円超の
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維持費用が必要になる
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正本堂(しょうほんどう)は
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本門戒壇の大御本尊を
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安置するために建てられた。
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┏━━━━━━━━━━━━━━┓
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┃疊疊疊疊疊疊疊疊疊疊疊疊疊疊┃
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┃・・・・・・・・・・・・・・┃
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┃◎「本門戒壇の大御本尊」とは、┃
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┃黒い墨で直筆された筆文字の・┃
|
┃曼陀羅を縦横約5倍角に拡大・┃
|
┃したもので、紙では無く・黒い・┃
|
┃黒塗りを施した厚い木の板に・┃
|
┃約5倍角した筆文字を何らかの┃
|
┃方法で書いたうえで、その文字┃
|
┃の部分を彫刻刀で深く彫り、・┃
|
┃彫り込んだ部分の面を研磨して┃
|
┃金箔を貼ったもので、筆文字の┃
|
┃曼陀羅の真ん中に大きく縦書き┃
|
┃する「南無妙法蓮華経・日蓮」の・┃
|
┃草書体の書き方や・その文字の・┃
|
┃相対的なサイズ・及び・その周囲┃
|
┃に敷き詰めて書き並べる神仏達┃
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┃の名前と配置の手本とする為に┃
|
┃日蓮宗が創始して間も無い時期┃
|
┃に・総本山大石寺の意向で作成・┃
|
┃され・その後・現在まで数百年間┃
|
┃大石寺に保管されているもので┃
|
┃あり、静岡県富士宮市にある・┃
|
┃大石寺が日蓮宗の総本山である┃
|
┃事の由緒の1つとなっている。┃
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┃・・・・・・・・・・・・・・┃
|
┃薑薑薑薑薑薑薑薑薑薑薑薑薑薑┃
|
┃・・・引用者による注記・・・┃
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┗━━━━━━━━━━━━━━┛
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建築家・横山公男の設計により
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創価学会第3代会長・池田大作が
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願主となり、
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大石寺第66世法主・日達上人の代に
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1967年(昭和42年)に着工し、
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1972年(昭和47年)10月に
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完成し法要が行われた。
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建築規模は
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建築面積39368平米、
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延床面積35155平米、高さ66m。
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信徒席は5,400。
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僧侶席は600。
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・
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将来の広宣流布(こうせんるふ)
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達成の象徴としての意義を担って、
|
国内でも海外に於いても
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今までに例の無い奇抜さと
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壮麗さを合わせ持つ唯一無二の
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巨大な宗教建築として設計され、
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「鶴が羽ばたく姿」をモチーフとした
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独創的なデザインの建物だった。
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このため独特の形をした屋根は、
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中央のリングに36本の鉄骨の梁を
|
つなぐ「半鋼性吊り屋根構造」という
|
構造に・なっており、上から
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吊り下げながらも・下から支える
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という・当時としては極めて高度な
|
技術(ジャッキダウン)による工法
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だった。このデザインと構造から、
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正本堂は・日本建築学会賞作品賞の
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受賞に浴している。
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・
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建設資金は・僧俗からの供養で
|
まかなわれた。それは
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1965年10月9日から12日までの
|
4日間に渡って行なわれ、
|
総額は・僧侶・寺族および
|
各信徒団体合わせて
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355億3600万4309円であった。
|
・
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創価学会を破門した
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総本山67世法主・日顕上人の時代
|
(1998年・平成10年)に50億円かけて
|
解体された。この解体を巡って
|
設計者の横山や創価学会以外にも
|
複数の建築家が反対の声をあげる
|
1幕もあった。
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・
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跡地には・宗旨建立750年の2002年
|
(平成14年)に奉安堂が建てられた。
|
・
|
創価学会員さんが執着する、
|
今は亡き正本堂という建築物。
|
学会員さんは言います。
|
「あれは名建築だったのに」
|
「日蓮正宗(の宗門)が嫉妬で
|
破壊した」とか、知恵袋を見ても
|
創価学会員さんの感情論ばかりで
|
客観的な事実が見えません。
|
・
|
正本堂が・実は・とんでもない
|
欠陥建築だという、具体的な情報が
|
見つかりました。このレポートでは
|
まるで遺体を検死するかのように、
|
正本堂の正体が暴かれていきます。
|
・
|
建築後わずか14年で、
|
「本格的な補修整備」が必要となる
|
正本堂の正体が暴露されています。
|
正本堂の解体には50億円も
|
かかったそうです。
|
・
|
解体して分かった事。
|
・
|
@・年間10億円以上の
|
メンテナンス費用が必要になる。
|
・
|
A・そうしたメンテナンスを
|
加えていても、
|
少なくとも10年に1回は、
|
さらに本格的な補修工事が必要。
|
(数年かかる工事なので、
|
これって1〜2億円では
|
無いような気がします)
|
・
|
もし、わたしが
|
そんなビルのオーナーだったら、
|
そんな建物は即解体して
|
新しいものに建て替えます。
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それが普通の感覚でしょう?
|
その後に建てられた奉安堂の
|
コストと比較して計算するのも
|
興味深いかもしれませんよね。
|
・
|
なぜ、そんな建物を作ったのかと
|
言えば、宗門にお金を使わせ、
|
創価学会への依存体質を作り上げる
|
ためという話もあるようです。
|
・
|
さて、解体工事の
|
プロフェッショナルが見た正本堂とは
|
どういう建物だったのでしょうか?
|
・
|
それでは引用をご覧ください。
|
・
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解体工事で判明した
|
「名建築・正本堂」の惨状
|
・
|
(『フォーラム21』H15.1.1抜粋・)
|
・
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平成10年に解体されるまで
|
奉安堂の建設地に在った、
|
池田大作会長(当時)が願主となって
|
建設された正本堂を、千年ももつ
|
堅牢かつ芸術的価値の高い
|
名建築だと強調。正本堂を解体した
|
阿部日顕日蓮正宗法主ならびに
|
宗門を、激しく非難し続けている。
|
・
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昭和47年の正本堂完成時に
|
池田氏は、「ローマの廃墟、
|
アンコールワットの遺跡等は、
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いかに壮麗を誇るとも、
|
2千年にして崩れた姿なのである。
|
世界平和の根本道場たる正本堂は、
|
末法万年、否・塵点劫に到れども
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不滅」と、正本堂は万年に渡って
|
不滅であると豪語していた。
|
・
|
だが、それからわずか14年後の
|
昭和61年4月7日に開催された
|
大石寺開創700年慶祝総合会議の
|
席上、池田氏は正本堂には
|
「本格的な補修整備」が必要である
|
事を発表。以後、数年に渡って
|
正本堂には・大々的な補修工事が
|
加えられた。
|
・
|
要するに正本堂は、
|
「末法万年」或いは・創価学会が
|
最初に主張していたような
|
「千年」どころか、わずか14年で
|
「本格的な補修整備」が必要な
|
建築物だったのである。
|
・
|
【解体工事を請け負った
|
・地田株式会社の営業部長・
|
・吉田裕史氏の話】
|
・
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正本堂を見ての第一印象は、
|
大きいものだなというものでした。
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しかし、子細に柱や壁等を見ると、
|
赤茶色に変色している部分が
|
かなりある。これは、そうとう
|
内部では鉄骨の錆びが進んでおり、
|
コンクリートも酸化しているなと
|
思いました。事実、解体に
|
着手するための事前調査として、
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正本堂の前に立っていた
|
円融閣の大円柱を叩き、表面の
|
大理石のタイルを剥がしたところ、
|
中から赤茶色の水がドッと
|
溢れ出てきました。
|
・
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最も驚いたのは正本堂の地下です。
|
地下室の扉を開けたところ、なんと
|
赤茶けた水が2メートルほども
|
溜まっていたのです。
|
「こりゃ、舟がいるな」と
|
話し合ったくらいでした。また、
|
他の部屋にはイタチなどが
|
住み着いていたのでしょう、
|
動物のフンが大量に堆積しており、
|
本当に驚きました。
|
・
|
もともと正本堂の敷地には
|
潤井川が流れており、湿気の多い
|
土地だったとか。ですから
|
僧侶方の通路に敷かれている絨毯
|
なども、湿気で・ビショビショになり、
|
すぐに黴(かび)て使い物にならなく
|
なったということでしたが、実際に
|
絨毯は・どこもかしこも黴だらけ。
|
その絨毯をはがしたところ、
|
床には幾つも亀裂が入っており、
|
既に相当、湿気等による
|
コンクリートの劣化、破壊が
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進んでいるとの印象を受けました。
|
・
|
同様に屋根の劣化も進んでおり、
|
随所で雨漏りが発生。
|
雨水が大量にコンクリート内部に
|
浸みこんでいました。あれだけ
|
巨大で重い屋根を、劣化した鉄骨と
|
コンクリートで支えている事には、
|
相当、無理があったと思います。
|
・
|
もし、この建物を
|
そのまま使い続けるとしたら、
|
年間10億円以上の
|
メンテナンス費用が
|
必要に・なったでしょう。
|
そうしたメンテナンスを
|
加えていても、少なくとも
|
10年に1回は、さらに
|
本格的な補修工事が必要に
|
なったかもしれません。
|
・
|
創価学会は・千年・或いは1万年は
|
もつと主張されているようですが、
|
とてもとても。30年で
|
ボロボロですから、百年、いや
|
50年もてば・いいほうでしょう。
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それも・先ほど申し上げたように、
|
本格的な補修工事を何度も
|
行なった上でです。
|
・
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大御本尊を安置していた須弥壇の
|
基礎を調べるために、記念品を
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埋納してあるという部屋にも
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入りました。(中略)内部の壁は錆が
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浮いて真っ赤に成っていました。
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・
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もっとも、工期短縮の背景には、
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予想以上にコンクリートと鉄骨が
|
劣化していて壊しやすかった
|
という要素もありますが。
|
・
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また、大石寺周辺の学会員が
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防音や振動について、騒音基準を
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超えているなどとして・富士宮市に
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苦情処理を申し出たため、市役所に
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赴いたところ、公明党市議が同席
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して、苦情を出した本人より先に
|
文句をつけてくるなどという
|
こともありました。
|
・
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・・・「千年」いや「万年」もつ、と
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創価学会が主張する正本堂だが、
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解体工事を請け負い、正本堂の現状
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をつぶさに見てきた吉田氏は、
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正本堂の予想以上の劣化に、
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正直、驚いたという。それにしても
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地下室に水が2メートルから
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3メートルも溜まり、随所に亀裂が
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入っていたとは恐ろしい話。
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大石寺のある富士宮市は
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東海大地震の防災地域でもある。
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被害が出る前に解体されて・むしろ
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良かったのではなかろうか。
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〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
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