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※・両脚を胡座(あぐら)に組んで
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座っている仏像は、袈裟(けさ)
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という・ワンピース風の服を着て
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いる。その他に・何か別の上着等を
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重ね着している感じは無く、薄着
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で涼しそうな服装だと言える。
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それは、気候が温暖で、山岳地帯
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とかで無ければ寒さで身震いする
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ようなことは無い、インドの気候
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を物語っている。主に・仏像の
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モデルにされるブッダは、生前、
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その生涯をインドで過ごしていた。
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┃服装や体格・姿勢など、ブッダの┃
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┃生前の姿を再現する事が仏像の┃
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┃存在意義であり、仏師によって┃
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┃立体的に可視化された・ブッダの┃
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┃「生前の姿へのリスペクト」こそ┃
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┃が、厳かな仏像を参拝する時の┃
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┃人々の共通認識である。だから┃
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┃と言って、仏像をご本仏とする┃
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┃お寺に参拝に来る者達の誰もが┃
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┃偶像を「崇拝」までしているはず┃
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┃と決めつけるのは硬直な考え方┃
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┃なのでは無いかと思う。実物大┃
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┃の人間よりも何倍かの大きさで┃
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┃作られた仏像であったとしても┃
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┃その巨大さの理由は・「遠巻きに┃
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┃見る人からも良く見えるように┃
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┃大きめに作られた」・というのが┃
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┃第1の理由だし、実際にそれを┃
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┃見て覚える畏敬の念がことさら┃
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┃品の悪いものだとは思えない。┃
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┃物によっては像の全体が「金箔」┃
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┃でおおわれていたりするがそれ┃
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┃も蝋燭などの僅かな明かりで像┃
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┃が浮かび上がるようにするため┃
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┃の「夜更けの参拝に備えた工夫」┃
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┃という面も有ったことだろう。┃
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・「視覚的なエンターテイメント」・
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寺院の本堂に安直されている仏像
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を見るために・お参りに来る人は、
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それがそういうものだと・ちゃんと
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自分で分かっている上で、意欲的
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に自ら寺院まで足を運ぶ訳である。
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・・・では、「偶像」とは対極にある、
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「日蓮上人のお手本の通りに、
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我こそは日蓮宗の総本山なり・と
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標榜する静岡県富士宮市の大石寺
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(たいせきじ)の歴代の上人が習字
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の修行を積んで直筆(じきひつ)で
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書きあげてきたとされる「草書体
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の筆文字で神仏の名が列記された
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文字曼陀羅の掛け軸」のほうは、
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どうだろうか?それを「ご本尊」
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だと崇めて・自宅のどこかの壁に
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或いは仏壇の最上段に飾っている
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在家(ざいけ)信者達は、実際の所
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本当に、下の設問に対し・心から
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「イエス」と答えるのだろうか?
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・
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Is・that・Hanging・Scroll・Wants・to
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Hear・a・Voice・Reciting・a・Sutra?
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●=●=●=●=●=●=●=●=●=●
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・・┃・あの掛け軸は・お経を┃
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・・┃・・唱えている声を・・┃
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・・┃聴きたがっているの?┃
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・・┗━━━━━━━━━━┛
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●=●=●=●=●=●=●=●=●=●
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・・・日蓮宗の在家信者たちは、
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自分自身の知覚で、
あの掛け軸
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から・その気配や仕草に近いような
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何かを感じ取っているのだろうか?
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iVBVBVBVBVBVBVi
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鎖かロープで繋がれた犬が・飼い主
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に「散歩に連れてって」と・せがむ時
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に飼い主の周りで・まとわりついて
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跳び跳ねるような、世話や・親密な
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付き合いをして欲しいと、相手を
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見つめて・訴えかける、そういう
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「気配や仕草に近い何か」を、あの・
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草書体の小さな筆文字で・びっしり
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埋められた「ご本尊という掛け軸」
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から感じ取っているのだろうか?
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・
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・・・要は、日蓮宗の在家信者たちが
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あの掛け軸
に対して、
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@畏敬(いけい)の念を抱(いだ)いて
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・いるのだろうか?
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A慈愛や親愛の感情が伝わって
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・くるものなのだろうか?
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Bそれらを受容した上での積極的な
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・感情移入をしているのだろうか?
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・
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@については、これだけの数の神仏
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の名を挙げられるんなら、あらゆる
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仏典を熟読してるんだろうなぁとか
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古事記・日本書紀などからの神道の
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知識も豊富なんだろうなぁとか、
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そんなところだろうか。もしも
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仏典のマニアなら・さらに・もっと
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踏み込んだ感想を持つものなのかも
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しれないが、そんな仏典のマニアが
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「法華経さえ知っていればいい」
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「むしろ・その題目さえ唱えていれば
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充分だ」なんていう教えを承服する
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とは考えにくいことである。
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・
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Aについては、
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忘れていた大切な事を
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思い出させてくれる言葉とか、
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気づかせてくれる言葉とかが
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書かれている訳では全然無く、
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「神仏の名簿」意外の何物でも無い
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のだから、そこから「慈愛や親愛
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の感情が伝わってくる」ことなど
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到底ありえないように思える。
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・
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Bについては、
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そもそも・草書体の筆文字から
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何らかの個性を見出だすのは
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現代の日本人には・もう・無理だと
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思う。「字は態を呈する」とは
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言っても、現代に於いて・草書体は
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「わざと読みずらく書かれた乱筆」
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というしか無い。古文書を研究する
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学者でも無ければ・日常的に・目に
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することすら皆無に近いたろう。
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