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※・池田大作の
|
・・創価学会(正規)会長
|
・・としての任期:
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1960年(昭和35年)
|
5月3日(32歳)〜
|
1979年(昭和54年)
|
4月24日(52歳)
|
・・・それ以降は終身の「名誉会長」。
|
・
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創価学会とは、法華講(ほっけこう)
|
のことである。それを正確に言えば
|
創価学会は、日蓮正宗(にちれん
|
しょうしゅう)の在家(ざいけ)信者
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の教義勉強会である「法華講」の中の
|
サークル活動のひとつであり、創価
|
学会学会員は入会と同時に、自動的
|
に「法華講員」として包括される。
|
・・・ことに・なっていた。
|
・
|
・<<・過去に於けるカテゴリー・>>
|
・・・・・・・・・┏━・妙観講
|
「法華講連合会」・━╋━・顕正会
|
・・・・・・・・・┗━・創価学会
|
・
|
しかし、池田大作・第3代会長が、
|
自分と・先代の戸田城聖・第2代会長
|
とのリアルな師匠・弟子の関係を
|
自分(池田大作)と・自分以外の全て
|
の創価学会員との間の関係性の
|
定義づけに適用し、自分(池田大作)
|
は・自分以外の創価学会員全員の
|
信仰と修行の師匠だ・俺は・お前らの
|
師匠だ・お前らは俺の弟子だ・という
|
認識を創価学会員に浸透させて
|
いった結果、必然的に・創価学会員
|
の間で・日蓮正宗総本山大石寺への
|
尊崇の意識が希薄に・なったこと。
|
・
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そして・師匠・池田大作にとって
|
都合のいい教唆(離反者への呪いの
|
題目を唱えるのも功徳になる・自前
|
の政党である公明党に投票すれば
|
功徳になる等)を・教義の拡大解釈の
|
「尾ひれ」として付け加えていって
|
教義を肥大化させたこと。
|
・
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さらには・顔・スタイル抜群の
|
独身の女子部員の美女会員を
|
学会本部第1庶務に抜擢して
|
全国スピーチ・ツアーの宿泊地で
|
秘かな夜の淫らな楽しみの相手を
|
させたり、その身代わりの生け贄
|
として送り込まれてきた一般会員
|
の「1夜限りの付き人」に・前戯無し・
|
避妊無しの強姦をしたりして、その
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苦情が・総本山大石寺の日達上人に
|
宛てて寄せられたり等、余りにも
|
聖職者らしくない無責任な生殖者
|
としての行動が露見したこと。
|
・
|
・・・等々により、日蓮正宗総本山
|
大石寺は、法華講からの創価学会員
|
の除外(破門)をちらつかせた。
|
・
|
以下、
●Wikipedia
から。
|
●=●=●=●=●=●=●=●=●=●
|
1977年(昭和52年)
|
1月15日●第9回教学部大会で
|
・「仏教史観を語る」と題する講演を
|
・行なう。創価学会独自の経本を
|
・作る(・「昭和52年路線」・)。これに
|
・反発した日蓮正宗内の若手僧侶が
|
・創価学会の教義逸脱を正すという
|
・活動を始める。
|
==============
|
1978年(昭和53年)
|
6月30日●「教学上の基本問題に
|
・ついて」と題し、教義逸脱を是正
|
・することを聖教新聞紙上で表明。
|
9月3日●「聖教新聞」が本尊模刻の
|
・事実を認める記事を掲載。
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11月7日●本尊謹刻などについて
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・の院達を不服とする一部宗内を
|
・治めるため、創価学会創立
|
・48周年記念登山代表幹部会と
|
・して、2千人の創価学会幹部、
|
・全国の教師と共に大石寺に登山
|
・を行ない、本尊模刻を初めとする
|
・教義逸脱を謝罪(おわび登山)。
|
==============
|
1979年(昭和54年)
|
4月24日●日蓮正宗との問題で
|
・創価学会会長を引責辞任。
|
・新しく創設したポストである
|
・名誉会長に就任(「名誉」の起源)。
|
・これまで終身制だった会長職
|
・が5年の任期と変更される。
|
・後任の会長には北条浩が就任。
|
4月26日●法華講総講頭を
|
・引責辞任。他の法華講と同様に
|
・日蓮正宗の監督を受けることを
|
・約束。日蓮正宗の管長日達より、
|
・法華講名誉総講頭の辞令を
|
・もらう(「名誉」の起源A)。
|
5月3日●日蓮正宗の法主、日達
|
・が池田名誉会長ら創価学会幹部
|
・の反省を受け入れ、問題の収束
|
・を宣言。
|
●=●=●=●=●=●=●=●=●=●
|
・・・この続きについては、
|
Wikipediaでは無い記事
|
を引用して追跡してゆく。
|
●=●=●=●=●=●=●=●=●=●
|
・・・『創価学会員の皆さんへ』
|
第二章:創価学会の実態を
|
・・・・よく知らない学会員に
|
・
|
今回の「創価学会問題」は
|
どのようにして起こったのか
|
・
|
昭和59年(1984年)、
|
第六十七世日顕上人は、
|
大石寺開創(かいそう)七百年を
|
記念して二百ヵ寺の建立寄進
|
(こんりゅうきしん)を願い出た
|
池田大作の反省の心を汲(く)まれ、
|
池田を法華講名誉総講頭(ほっけ
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こう・めいよ・そうこうとう)に
|
再任されました。
|
・
|
その後、池田大作は宗門への恭順
|
(きょうじゅん)を装っていましたが
|
平成2年(1990年)11月16日、
|
ついに増上慢(ぞうじょうまん)の
|
本性を露(あら)わにして、全国の
|
学会員に対し・衛星放送を通して、
|
法主誹謗(ほっすひぼう)と
|
宗門蔑視(べっし)のスピーチを
|
行ないました(引用者注記:以下の
|
部分は・事前に用意されていた原稿
|
から脱線した・池田大作のアドリブ
|
な喋りだったと思われる)。
|
その内容は、
|
・
|
「猊下(げいか)というものは信徒の
|
幸福を考えなきゃあいけない。
|
権力じゃありません。」
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(第三十五回本部幹部会スピーチ)
|
・
|
「50周年、敗北の最中(さなか)だ。
|
裏切られ、叩かれ、私は・会長を
|
辞めさせられ、ね。もう宗門から
|
散々(さんざん)やられ・・・」
|
(第三十五回本部幹部会スピーチ)
|
・
|
(それは分かるが、本当に叩かれる
|
だけの悪事をしてきただろうが。
|
それを差し置いて何を言っとる?
|
・・・引用者・注記)
|
・
|
というもので、これは
|
昭和52〜53年の「お詫び登山」
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における反省懺悔(ざんげ)を反故
|
(ほご)にする、法華講名誉総講頭
|
に・あるまじき発言です。
|
・
|
これに対して宗門は、平成2年
|
12月13日、学会との「連絡会議」の
|
席上、「お尋(たず)ね」文章をもって
|
池田スピーチの真意を確かめようと
|
しましたが、学会側はこの文書の
|
受け取りを拒否しました。
|
そのため宗門は同月16日、同文書
|
を学会本部に送付しましたが、
|
これに対して学会は、誠意ある
|
回答を示すどころか、かえって
|
敵意を露(あら)わにした「お伺い」
|
と称する詰問(きつもん)書を
|
送りつけてきたのです。
|
・
|
このような経過のなかで、宗門は
|
同年12月27日に宗会(しゅうかい)
|
を開き、かねてからの懸案
|
(けんあん)であった、法華講本部
|
役員の任期に関する「日蓮正宗宗規
|
(しゅうき)」の一部改正を行ない、
|
これにより池田をはじめとする
|
名誉総講頭・総講頭・大講頭は・その
|
資格を喪失(そうしつ)しました。
|
●=●=●=●=●=●=●=●=●=●
|
・
|
しかし、日蓮正宗総本山大石寺が
|
創価学会員を・法華講員から・完全に
|
除名するまでの過程は、即刻では
|
無く・段階を踏んで行なわれた。
|
再び・
●Wikipedia
から。
|
・
|
●=●=●=●=●=●=●=●=●=●
|
1990年(平成2年)
|
12月27日●日蓮正宗は・法華講
|
総講頭に任期制を導入。これにより
|
任期終了と共に・池田大作が・法華講
|
名誉総講頭の資格を自動的に失う。
|
==============
|
1991年(平成3年)
|
11月28日●日蓮正宗が・創価学会
|
を破門。対して・創価学会とSGIが
|
日蓮正宗との決別を宣言する。
|
==============
|
1992年(平成4年)
|
8月11日●創価学会員が・日蓮正宗
|
から信徒除名処分を受ける。
|
==============
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1993年(平成5年)
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10月、創価学会が・日蓮正宗総本山
|
大石寺第二十六世:日寛上人筆の
|
筆文字曼陀羅本尊を電子データ化
|
&(レタッチソフトで)トリミングを
|
して、掛け軸台紙の周囲の模様ごと
|
一体的に印刷した「量産ご本尊」を
|
活動家の会員に配布(※・三千円)。
|
現・前上人倪下筆とされる直筆本尊
|
の廃棄・ないしは・学会本部への
|
郵送返却(廃棄依頼)を指示する。
|
●=●=●=●=●=●=●=●=●=●
|
・
|
ご受戒(洗礼)は・・そんなもの
|
してもらえないの?→無くていい
|
・
|
お葬式の導師は・・・自分たちで
|
僧侶に頼めないの?→やればいい
|
・
|
直筆の曼陀羅本尊┓・大元にある
|
であるからこその┃・宗門が腐敗
|
呪符の効力だって┃・したんだから
|
何度も聞かされた┻→功徳など無い
|
・
|
・・・教義・儀式の根本が激動する渦に
|
翻弄されながらも、我らの総大将・
|
池田大作名誉会長に舵取りを託して
|
きたのに、まさか・あんな情けない
|
姿を・幹部会の同時中継で見せられ
|
ることになるとは(
というリンク
)
|
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
|
池田大作の同時中継、哀れな
|
提婆達多並みの呂律(ろれつ)
|
iVBVBVBVBVBVBVi
|
Kaettekita・私が思う・あの事この事
|
Return(Get・Back・Part2)
|
●=●=●=●=●=●=●=●=●=●
|
今から何年も前、創価学会員だった
|
私含め家族は、自家用車で毎月1回、
|
せっせと文化会館へ同時中継の為に
|
駆り出され・映像を見に行っていた。
|
・
|
その建物はいかにも新興宗教の
|
施設そのものだったが、当時は
|
何も疑問にも思わなかった。
|
・
|
男子部長、女子部婦人部部長・挨拶
|
・・・と続き、いよいよ池田大作氏が
|
お出ましになる(スクリーンの映像)。
|
・
|
センセーは、何とか笑いを取ろう
|
と必死のようで、同時中継の中の
|
大勢の人も、そこの会館の人も、
|
ぎこちなく無理に笑顔を作り、
|
無理に笑う。この時のイヤーな
|
感じが、冷や汗をかきに来ている
|
ようで、私は嫌いだった。
|
・
|
そして、センセーが座席に座り、
|
スピーチを始めると、「ん・・・?!」
|
と言う程、呂律(ろれつ)の回らない
|
言葉とも言えないノイズの
|
オンパレード。池田は、既に、
|
この時、自由に言葉を発すること
|
の出来ない老体の身だったのだ。
|
・
|
本当は、そんな事で
|
差別したくも無いが、池田は、
|
もう人前に姿を現すのは無理な程、
|
身を持ち崩していたのだ。
|
・
|
そんな姿を・毎月
|
見せ続けられ、ある日から、
|
「思い出の池田センセー」と言った
|
感じの、在りし日の池田が映った
|
ビデオを十年前の分から見せつけ
|
られ、「もう池田はいない!」と
|
確信した。
|
・
|
今もそんな映像スピーチを学会員達
|
は見せられているのだろうか。日蓮
|
正宗に立ち返った私は分からない。
|
・
|
土台、池田本仏論、池田神格化は
|
無理だったのだ。生身の人間が、
|
長寿を得たとしても、永遠に
|
生き永らえる事など不可能だ。
|
どんな人間だっていつかは死ぬ。
|
いつまでも「池田センセーは
|
お元気です」と・何百回・幹部達が
|
言いつのっても、それは虚しさ
|
ばかりを振りまき、人間の限界
|
の証明をするに等しい。
|
・
|
私は、以前も・このブログ記事で
|
述べたが、泥船には乗りたくは
|
無かった。今のままでは、多くの
|
学会員達が、謗法与同罪で堕地獄の
|
悲惨を逃れる事は出来ない。私は
|
創価の謗法、日蓮正宗の正義に
|
気付けたので良かったが、今・まだ
|
残っている学会員達の多くが池田や
|
幹部に・いまだに騙され続けている。
|
まことに、創価の謗法の集団洗脳の
|
心理はコワイ・と思わざるを得ない。
|
・
|
日蓮正宗の御僧侶方は、どんなに
|
お年を重ねても・御言葉はカクシャク
|
として、あの同時中継の時の池田
|
のような・たどたどしい、濁った
|
口振り・話し方は誰1人していない。
|
日顕上人猊下だって、晩年、
|
頭脳明晰、御言葉も・はっきり・お話
|
なされ、年齢だけがあんな呂律の
|
回らないスピーチの原因とも
|
思えない。
|
・
|
釈尊に敵対して地獄に落ちた
|
提婆達多(だいばだった)も、釈尊
|
に反抗した半生を反省し、言葉を
|
発しようとした刹那、言葉にも
|
ならない「南無〜」とも聞こえない
|
言葉で臨終を迎え、堕地獄の末路と
|
なった。
|
・
|
晩年の池田も、大謗法、堕地獄の
|
業罰・業火の中、言葉が貧相になり、
|
発声にも困る事態に陥った事は、
|
想像に難くない。
|
●=●=●=●=●=●=●=●=●=●
|
・
|
・・・「池田先生なら・信心で
|
克服なさるはず」と、誰もが
|
期待したんだろうなぁ。
|
・
|
医学を超える功徳があるんだろ?
|
生命力を湧き上がらせるんだろ?
|
力説して断言していた・お前が
|
自分の身をもって証明してみろよ!
|
・
|
・・・という話だよな。磯野貴理子
|
みたいに、迅速な医療処置で
|
脳梗塞から正常にまで回復した
|
人も居るんだから、速やかに
|
専門の医師に・すがれば・事なきを
|
得られたかもしれないのに。
|
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
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・YouTube・PickUp動画再生・〓≫
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池田大作センセーが
|
題目を発音できない!
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iVBVBVBVBVBVBVi
|
SO★KAワイドショーch
|
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
|
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