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この国での梅毒の歴史について、
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江戸時代に焦点を当てて
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書いていきます。
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日本に梅毒が入り込んだのは、
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室町時代の末期、西暦で言うと
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1500年辺りです。よって・日本での
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梅毒の歴史は500年と言われます。
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時期は・だいたい、鉄砲の伝来と
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同じ位です。漂流したポルトガル人
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が種子島(たねがしま)に漂着した、
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それで「鉄砲」が押収された、という
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アレですが、明(みん・当時の中国)
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まで来ていた梅毒が・海を越えて
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持ち込まれたのは貿易商か・或いは
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和寇(わこう・日本人の海賊)による
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ものと言われています。
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その後・織田信長が室町幕府を倒し、
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いわゆる戦国時代を経て徳川家康が
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天下を統一し・江戸に幕府を開き、
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・・・としている間に、不特定多数と
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不純異性豪遊を楽しむ者達の間に
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梅毒が浸透していって、いつしか
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江戸の吉原の遊廓の遊女達の間に
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梅毒が蔓延していきました。
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梅毒の感染経路は2つあります。
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1つは体液感染です。梅毒の感染者
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は膣分泌液(♀)や精液(♂)や唾液に
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病原体である「梅毒トリポネーマ」
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というコイル状の細菌を排出する
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ので、それに粘膜が触れたり、それ
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を舐めたり飲み込んだりして体内に
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取り込んだ時に感染します。
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もう1つは・患部に粘膜がじかに接触
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することによる感染ですが、梅毒の
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第@期(粘膜)と第A期(全身の皮膚)
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に現れる患部は数日から半月の間に
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消えて・元の健康な状態に戻って
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しまうので、逆に感染経路の割合と
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しては低いです。明るい場所での
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性行為であれば、見た目で病変が
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確認できるなら・まぐわいの続行を
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避けるのが普通です。しかし女性器
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の膣前庭に硬いしこりが現れた場合
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には、男が生で陰茎を挿入する前に
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大陰唇をしっかり「くぱあ」と広げて
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女性器の形状を念入りに確認しない
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と、可視的な梅毒の病変さえ見逃す
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可能性は・充分に・あるでしょう。
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それと同様に、明るい場所であれ、
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♂か♀のどちらかの口腔内に梅毒の
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病変があったとしたら、相手の口の
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中にベロを入れて舐め合うディープ
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キスにより・ベロで・相手の口腔内の
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患部を舐めれば・唾液&接触で・ほぼ
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確実に感染するでしょう。歯科医の
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ように口腔内の様子を鏡付きのヘラ
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で観察してからディープキスをする
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人なんて皆無でしょうからね。
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上で述べた第@期の発現状態は、
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感染後3週間以降に、梅毒で汚染
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された体液や患部に直接触れた粘膜
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(♀♂の性器や口腔)にコリコリした
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しこり・盛り上がった硬いしこりが
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出現します。患部が爛(ただ)れたり
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することがあります。しかし、
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数日から半月で退縮し寛解します。
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第A期の症状は感染後3ヵ月以降に
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発現します。全身の皮膚にまだらに
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薔薇(バラ)色の斑点が一気に出現
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します。これも・半月ほどで退縮し
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寛解します。第@期も第A期も、
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耐え難いほどの痛みや痒みが生じる
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ことがありません。よって、
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自分で・何か他の病気だと誤診して
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焦っているうちに病変が退縮して
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寛解して、それで治ったと思って
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ほっとするという、病原体にとって
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思う壺の展開に誘われます。
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江戸時代の遊廓の遊女は、これらの
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「潜伏期」に治ったと思い込み、かつ
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それが「梅毒」の前編だという知識も
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無く、感染しながら客と性行為を
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繰り広げていました。それによって
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起こるのは、男性客の側での梅毒の
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大漁感染です。遊廓に通う客が梅毒
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になるのは定番のことでした。
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梅毒の後編は、感染後3年以降の
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第B期で、よりパワーアップした
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症状で再燃します。体の表面の
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思いがけない場所の皮膚と筋肉の
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浅い部分が広い面積で爛(ただ)れ、
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沸騰したような様相を呈します。
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まるで梅干しをやぶったように。
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つまり「梅毒」とは、この第B期を
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指して名づけられたものなのです。
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ぐちゃぐちゃになった皮膚&筋肉は
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壊死し表面が陥没します。また、
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全身の軟骨が侵され、特にしばしば
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鼻骨が溶かされ・鼻がひしゃげたり
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そげ落ちたりします。こんな風に
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化け物のような姿になってしまえば
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遊女と言えども客を取れない、そう
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考えるのが「今」と江戸時代との
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大きなギャップです。
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まず・今は、第A期で皮膚科医に
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梅毒だと気づいてもらえるケースが
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ほとんどです。第A期の薔薇疹が
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現れても病院に行かない人など
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ほとんど・いません。
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そして「今」は、梅毒の特効薬である
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抗生物質「ペニシリン」があります。
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厳密に言うと、1940年頃に発明
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されています。この薬によって、
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梅毒の第B期の発現は、文明国では
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押さえられるように・なっています。
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その第B期は退縮せず、ひたすら
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悪化の一途を辿り、それから
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数年以内に全身の臓器と中枢神経を
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侵され・精神が錯乱し・廃人となって
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無様な生きざまをさらけ出しながら
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死んでゆく訳ですが、ここで
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大いなる疑問が沸き起こります。
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梅毒の第B期に突入した遊廓の遊女
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は客を取れたのか?この謎には
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答と思われる推論があります。
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旬を過ぎた遊女は・遊廓を離れ、
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夜の街角で「夜鷹(よだか)」として、
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個人営業の売春をしていた・という
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記録があります。それが1つの推論
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で、もう1つの対(つい)になる推論
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は・考えるだけでも・おぞましい状況
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なのですが、それは何かと言うと、
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梅毒の第B期が発現した男性客が、
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梅毒の第B期が発現した個人営業の
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遊女(夜鷹)を買春(かいしゅん)して
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いた。もはや・そうだったとしか
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思えない・究極の泥沼の状況です。
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なぜなら、当時は不治の病だった
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梅毒で死を宣告されていようとも
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♂の性欲が絶える訳では無いから
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です。いや・むしろ、生命の危機が
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間近に迫ると、♂の性欲というのは
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逆に高まるものです。それに、既に
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梅毒の第B期のグロい病変で・体の
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ところどころが化け物じみた姿に
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なっている人間は、もう・新たな
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梅毒の感染に怖れる理由など・全く
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無いとも言えます。よって、外見上
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明らかな梅毒患者どうしの性行為は
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当事者2人以外には・他人に・迷惑が
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全く・及ばないものだと言えます。
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その光景をライトアップして撮影し
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エロビデオにしたら気持ち悪すぎて
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身の毛がよだち吐き気を催すだろう
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という現代的な設定が適用されない
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限りにおいての話ですが。
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ペニシリン(1940年頃)以前の
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梅毒の治療法は・たった1つだけ
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ありました。梅毒トリポネーマは
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高熱に弱く、42度の高熱が続くと
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死に絶えます。よって梅毒の感染者
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をマラリアに感染させ、数日間に
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渡り生死の淵をさ迷わせたあげく、
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マラリアの特効薬である「キニーネ」
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を投与するという方法なのですが、
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それが試されたのは・日本で言うと
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昭和に入ってからのことです。
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梅毒は「今」とは違い、
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戦国時代、江戸時代、明治・大正と
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太平洋戦争の敗戦前まで・ずっと
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「不治の病」だったのです。
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