|
|
※・公共交通機関を利用して
|
通勤・通学をするというサイクル
|
の中で・人々を乗せて運んでゆく
|
細長い車内空間。そこに、ただ
|
同じ時刻の便に乗り合わせた
|
というだけで、一時的に、
|
箱形の内部空間を共用する、
|
「見ず知らずの老若男女
|
(ろうにゃくなんにょ)」の
|
無作為でカオスな集合体。
|
・
|
しかし、たとえ・見ず知らずの
|
者同士であれども、ロケーション
|
と目的が一時的に重なるので
|
あれば、男女の区別なく
|
「とりあえず同志」だという
|
程度の共有意識と連帯感を
|
持ち合わせたほうがいいと
|
僕は思います。
|
・
|
例えば・ロケーションが「電車」で、
|
目的が「徒歩で無理な距離を無難
|
に円滑に移動すること」であれば
|
それに該当する集団には男も
|
女も含まれます。その上で、
|
混んだ車内で・まるで
|
ガールズバーのキャストのように
|
「露出過多」かつ「無防備」で
|
半裸じみた格好で、偶然
|
至近距離に居た男を・ビビらせ
|
おののかせようとも、そういう
|
男達への影響を黙殺して
|
「着たい服を着てるだけなのよ。」
|
と押し通すことが・どこまで
|
正しいのでしょうか?
|
・
|
容易に裸体を連想させるような
|
ナマ脚太もも大胆露出をして
|
「この類い稀なエロボディーが
|
目に入らぬか?雑多な男どもよ、
|
ひかえおろう」と衣装が主張して
|
いる状態で、そこまでの過激な
|
女体の表現を・逆に脅威に感じる
|
男性が一定数・居ることも、
|
そして・それも・ひとつの大きな
|
勢力であるということを、
|
若く健康的な露出教の女性達に
|
知ってもらいたいものです。
|
・
|
メリハリのある女体のフォルム
|
が放つ・華やかな魅惑と・潤った
|
色気も、盛(さか)りがついた男
|
の貪欲な性欲も、「男女の恋人
|
同士」というロマンスの発展に
|
アクセルをかけるものであるし、
|
男女の恋愛を肉食的にして
|
活気づかせるものであるのは
|
至極明解なことなのだけれど、
|
・
|
面識の無い・見ず知らずの人々が
|
異性間であれど・やむを得ず
|
接近しなければならなくなる
|
こともある公共交通機関の車両
|
の中で・肉食的なロマンスの触媒
|
を欲望全開の勢いで垂れ流して
|
いる様相は、どこか方向が危うい
|
というか、暴れ馬じみた荒れた
|
欲望、モラルに対する不敵な
|
反逆、そういうのを感じます。
|
|
|
|