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⇒●文章引用元URL●⇒
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┃老いゆきて、想うこと┃
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昭和9年生まれの老人の
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ひとりごと・あれこれ
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┃終戦当時、街には進駐軍を┃
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┃相手にする日本女性がいた┃
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2014/03/19・15:57:38
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日記・コラム・つぶやき
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街の売春婦、パンパンたち
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このテーマは前にも記しているが、
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重複ながら今一度お読み頂きたい。
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それほど思春期に近づいた時期の
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少年にとって記憶から消しがたい
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想いということだろうか。
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今は・すっかり死語になったが、
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終戦から数年間、「パンパン」
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という言葉が世間に定着していた。
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まさに日常語であった。つまり、
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進駐軍の兵士を相手に春を売る女性
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たちのことである。主に日本の女性
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だったと思うが朝鮮の女性も多く
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いたという。
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「パンパン」という言葉の由来に
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ついては、今もって分からない。
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pom・pomという性交を意味する
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英語からきた、という説もあるし、
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・
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インドネシア語で女性を意味する
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prempuan、プロムパンの
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アメリカ訛りと言う説もある。
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また、ペンペンという三味線を
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表わす擬音語を進駐軍の兵士が
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使ったのが日本人にはパンパンと
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聞こえた、という・もっともらしい
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説もあるらしい。
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まあ、それはどうでもよいとして、
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パンパンの存在は、終戦直後の
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街の風俗になっていた。小倉の
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街も・その例外ではなかった、
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ということだろうか。
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彼女たちは、当時の紫川に架かる
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常盤橋付近に、夜ともなると
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たたずんで相手を誘った。相手は
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日本の男ではない。進駐軍の兵士
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である。日本の男たちは、見ても
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見ぬふりをして素通りしていたし、
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女性たちも声をかけなかった。
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当時の日本の男たちは、敗戦の
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落胆感、占領軍であるアメリカ人
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に対する劣等感もあり、おまけに
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極度の逼迫した衣食住などが
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もたらす生活苦から、セックスの
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欲望は二の次になっていた、
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ということだろう。
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実際、当時のパンパンというのは、
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同じ日本人という意識は・あっても、
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なにか自分たちとは異質の世界の
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住人のように思えたものである。
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真っ赤なルージュ、背中が大きく
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割れて肌が丸見えのドレス、
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金色に染められたヘアー、それに
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踵がいやに高い・赤やピンクの
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極彩色のハイヒール、そんな女性
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たちが、昼の日なか進駐軍の兵士と
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お互いに手を腰に回しあって、
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繁華街を闊歩していた。
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特に、中にオンリーといわれるのが
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いた。これは、兵士の中でも
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将校クラスの専属で、その将校しか
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相手にしない、いわゆる囲い者と
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いうところであった。彼女たちの
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生活は豪奢で、その将校の力で
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住居をあてがわれていたのは勿論、
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PX(基地内の兵士専門の売店)
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で購入した、およそ当時の一般の
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日本人が眼にすることも
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できないような食品、日用品が
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与えられていた。
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大人たちはそのような
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女性たちを賎業に従事する者に
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対する、昔からの意識から軽蔑
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したが、その一方で
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現実の自分たちの生活に比べて
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物質的に豊かな彼女たちを
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羨望の目で見ることも多かった。
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しかし、いずれにしても、
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彼女たちのお陰で・一般のいわゆる
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良家の子女が辱めを受けずに
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済んでいる、ということの認識は
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大勢を占めていた、と言うことは
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できる。私の両親も、彼女たちを
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強く蔑視していたものの、
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このような女性たちの必要性は
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理解していた、と・たまたま傍で
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聞いた両親の会話の断片から
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想い起こせる。
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実際、当時の政府は、進駐軍を
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迎えるに当たって、日本の子女を
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その兵士から守るにはどうしたら
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よいか、ということを真剣に
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問題にし、策を論議した、という
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記録がある。進駐軍からも進駐に
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当たって対応策を講じるよう、との
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要請があった、ということである。
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つまり、彼女たちは世間から蔑視
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されたとしても、国策に協力し
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日本の一般の子女の防波堤に
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なったと言うことであり、実際に
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そのことを密やかに主張する
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彼女たちがいたし、声高に口にする
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大人たちも多くいた。しかし、
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進駐軍による日本子女の性的暴行は
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多発していた。その重大な事件性の
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あるものは、当時の新聞も報道して
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いた。ただし、犯人は・いつも
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「背の高い大男」ということである。
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これが、シャーナリストとしての
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良心の精一杯の抵抗であったと
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いうことであろうか。
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このようなパンパンたちと進駐軍の
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実態を、私が少年の時期に・初めて
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見聞して、これが、被占領地には
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売春婦が生まれ、その彼女たちと
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占領軍兵士がかかわり合うという
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特に珍しくもない常態なのだ、
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というような意味のことを、
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まだ年端のいかない私には
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難しい表現は出来なかったが、
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なんとなく理解したものである。
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戦場での軍隊のセックスの処理の
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問題は、古今東西を問わず、いつも
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ついて回る問題である。明日の命を
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保証されない血気盛んな兵士が、
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たまたまの安らぎのひと時を得て
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考えることの唯一が、女性との
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性交渉であっても決して可笑しく
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ないし、誰も非難できない。
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ただ、その対応の仕方が、国により
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あるいはその軍隊により違っていた
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ということはあるに違いない。軍律
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の厳しい軍隊は、戦場での現地人の
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女性に対する不法な暴虐行為を
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防ぐために、軍の命令として職業的
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女性、つまり売春婦を専門業者に
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ゆだねて一定の施設に集めて、その
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運営を厳しく管理させる、という
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例も勿論あったに違いない。
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その一方で、軍が管理して兵士に
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供するということの無いケースも
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あったろうし、そのような場合
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は、自然発生的に兵士の周りに
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その種の女性が群がってくる、
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ということになったであろう。
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その女性たちは、現地の人たちで
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あったり、また・その軍の母国から
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はるばる流れてきた人たちで
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あったりしたと思う。
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現に、戦中に日本から東南アジアに
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流れていった女性たちの話が小説や
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映画になって、戦争がもたらした
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悲劇として、巷間を賑わした時期が
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あった。また、過去の世界大戦では
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兵士は・被占領地の女性を・個々に
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おいて・勝手に調達することを
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軍規にしていた国もあると聞く。
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要するに戦争があれば、戦場での
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兵士のセックス処理は・避けて
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通れない問題であって、その欲望
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が満足に満たされない状態で
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あると、現地女性への不法な暴虐が
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起こるのは必然ということだ。
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世界の・どの国であっても、
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戦地での兵士のために売春婦を、
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手段の違いは・あっても・調達
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してきた。そこには・いろいろな
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悲劇があったはずである。
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だから、このように考えてくると、
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昨今、先の戦争で戦地での日本軍が
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売春婦を必要とし、その関わり合い
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が世界に類を見ない特殊なもので
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あった、かのような非難、中傷が
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盛んに為されているが、これは
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全く不当な言いがかりというべき
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ものであり、或る目的を持った、
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ためにする行為だとしか思えない。
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終戦当時、街には進駐軍を
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相手にする日本女性がいた。
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:・老いゆきて、想うこと
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