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お名前FascinatingFox
2020214金曜日午後7657

都道府県愛知県 性別男性
血液型B型 星座魚座 昭和46年生まれ
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豊胸手術で使われるインプラント
(シリコンバッグ・プロテーゼ)は
鏡餅のような形をしていて、色は
乳白色をしています。人間の皮膚
には、黒人で無ければ透過性が
あります。色白(いろじろ)の肌に
静脈の模様が透けて見えるのは
皮膚に透過性がある証拠です。
もしも皮膚の下に埋め込む物の
色が黒であれば、埋設する深さが
浅ければ皮膚にうっすらと黒が
透けて見えてしまうでしょう。
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・YouTube・PickUp動画再生〓≫
シリコンバッグ・プロテーゼの
解説:自然な感触・動き・柔らかさ
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高須幹弥高須クリニック
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美容整形の豊胸手術において、
シリコンバッグを自前の乳房の深部
に『乳腺下法で埋め込む』という
手術を行なう場合には、まずは
全身麻酔をした上で、腋(わき)の
下を切開し、現状の乳房である
「乳腺・皮下脂肪・結合組織」の層と
大胸筋との間に割って入るように
擬似乳房のシリコンバッグをニュルッ
と手際良く押し込んでいきます。
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関連リンク動画特集〓≫
シリコンプロテーゼ乳腺下法
iVBVBVBVBVBVBVi
美容整形外科動画MikiTube
美容整形の高須クリニック
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「乳腺下埋設法」の動画であれば
まださほどの嫌悪感も無く冷静に
視聴できると思います。しかし
「大胸筋下埋設法」のほうは男性に
とっては嫌な連想が働きやすいと
思います。男性にとって厚みのある
大胸筋は剛健な上半身の象徴であり
「豊胸」によって女の色気と猥褻さを
あからさまに増幅するがためだけに
「筋肉」をインプラントの「被膜」に
「転用」するだなんて、にわかには
信じがたい魔物めいた所業です。
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未婚の女性の乳房は、もしかしたら
将来において「生涯の伴侶」と呼べる
ような男性と出会いナマ交尾をして
みごもって誕生させるかもしれない
新生児のために準備されている大切
な器官です。乳首から滲(し)み出る
母乳を新生児に吸わせて、飢えずに
発育するための栄養を与えます。
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・YouTube・PickUp動画再生〓≫
母乳で赤ちゃんを育てると
バストの形が崩れるので
人工乳で育てるほうがいいですか?
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高須幹弥高須クリニック
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「乳房・乳腺・乳首」は「愛する我が子」
が生まれた時に母乳を与えるために
用意されているシステムである。
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・・・古来から時空と世代を超えて
長い間人類のメスに共有されて
きたはずの「乳房と乳首」に関する
この「妥当すぎる認識」に揺らぎが
生じてきて、若い独身の女が眼前の
モテ期を謳歌することにのみ夢中に
なって、「未来の我が子」のための
「乳房」を「私物化」し、乳房に内包
されている乳腺の網の目の存在すら
無視して、オッパイの迫力と威圧感
を増大させるためだけに乳房に
異物を埋め込んだり半個体の流体
を乳房に注入したりするように
なってしまったのは、この国では
いつ頃からなのでしょうか?
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・・・それはなんと1950年代まで
さかのぼります。その頃にどんな
歴史的な「きっかけ」があったと
言うのでしょうか?
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⇒●文章引用元URL●⇒
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概念
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美容外科では、身体特に乳房の
形を整えたり、顔面の凹みや
しわを盛り上げたりするために、
異物を体内に入れます。しかし、
異物の種類によっては体に馴染まず
腫瘤を形成したり、皮膚が炎症を
起こして潰瘍化することがあるため
注意を要します。
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種類
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体内異物には、固形・ジェル・液体・
ジェルや液体を固形のバッグに
封入したものがあります。また、
ジェルや液体のものにはいずれ
吸収されるものと、完全には
吸収されないものがあります。
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⇒●文章引用元URL●⇒
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日本形成外科学会>体内異物
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・・・つまり、美容外科の施術のうち
「(怪我や火傷などの)損傷の修復」
以外は医療(健康増進や病気の治療)
では無いことを充分承知のうえで
顔や体の外見上の不服を肉体的な
「改造」によってかなえてくれる
美容外科医に「頼みたがる人々」が
世の中にはいるようだ、と。
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ゆえに医療(健康増進や病気の治療)
とはかけ離れたこと(体内に異物を
注入したり埋め込んだり)を、
「麻酔と医療器具のチカラを使って
是非とも自分に施して欲しい」
という熱烈な要請を受けて、
美容外科医は施術を行なう。その
魔術を施す分の報酬さえ存分に
もらえれば、「健康増進に寄与する」
という理念に根ざさないことで
あれども、その理由づけを依頼人の
「切なる願い(変身願望)をかなえる」
に置き換えて、健康増進とは完全に
真逆なこと(体内に異物を注入する
とか埋め込むとか)を悪びれもせず
に粛粛(シュクシュク)と行なえる。
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⇒●文章引用元URL●⇒
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豊胸術◇注入法の時代
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戦後の日本でパラフィンやワセリン
などの炭化水素系異物、
シリコンオイルやシリコンジェル
などのシリコン系異物の注入が
行なわれました。
しかしその結果癌と区別できない
腫瘤や異物が全身に転移することが
あり、とくに異物が引き金となって
免疫に異常をきたすことがありうる
とされ(ヒト・アジュバント病)、
社会問題になりました。
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⇒●文章引用元URL●⇒
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日本形成外科学会>体内異物
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太平洋戦争の敗戦後が、どうやら
豊胸手術の黎明(れいめい)期で
あるらしい。この時代についての
記録は他にあるだろうか?
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⇒●文章引用元URL●⇒
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近年の豊胸術の記録では1950年頃
からパラフィンやシリコンジェルを
皮下に直接注入する方法が
採用されたが、組織の壊死などの
合併症・後遺症が多く発生した。
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⇒●文章引用元URL●⇒
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豊胸術の歴史と問題点
:クリニックビューティーあいち
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「1950年頃」=「戦後の日本」だろう。
「パラフィンやワセリン」も、
「シリコンオイルやシリコンジェル」
も半個体の流体。それらを「皮下に
直接注入する方法が採用された」。
・・・そうか。それじゃ「採用された」
は誤りだね。過去に事例が無いのに
「なんとなくやってみた」だけだ。
要はお手軽な人体実験の感覚だ。
天然の巨乳の感触がフワフワだから
とりあえず似たような物(ドロドロ)
を乳房の中に注入すれば柔らかさ
を減じること無く単純に膨らんで
ひと回り豊満な乳房になるだろう、
その程度のお気楽な発想だ。どうせ
始めから「医療(健康増進)」を依頼人
から求められていない訳だし。
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流体性の異物を「皮下に直接注入」
して、「しかしその結果癌と区別
できない腫瘤や異物が全身に転移
することがあり」という現象、これ
まさしく、乳癌の癌細胞が乳腺
に浸潤し腋(わき)の下のリンパ節
に流入してリンパの流れに乗って
全身に転移する最終ステージの展開
と酷似している。「組織の壊死など
の合併症・後遺症が多く発生」もする
だろう。とはいえ医療(健康増進)
にまで関知しなくても責められない
立場で肉体的な改造を優先するのが
美容外科医の本質だとは言っても、
「1950年頃」=「戦後の日本」には
豊胸の事例の蓄積なんてあるはず
が無いのだから、急に沸き起こった
依頼人の「切なる願い(変身願望)」
に対して方法論が追いつかなかった
という「黎明(れいめい)期あるある」
な感じだったと言うべきだろう。
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・・・だが、太平洋戦争の敗戦後に、
「オッパイをなんとかしてもっと
大きくして欲しい」だなんて、
そんな能天気なことを言える女
など果たしていたのだろうか?
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⇒●画像引用元URL●⇒


⇒●文章引用元URL●⇒
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老いゆきて、想うこと
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昭和9年生まれの老人の
ひとりごとあれこれ
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終戦当時、街には進駐軍を
相手にする日本女性がいた
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2014/03/1915:57:38
日記・コラム・つぶやき
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街の売春婦、パンパンたち
このテーマは前にも記しているが、
重複ながら今一度お読み頂きたい。
それほど思春期に近づいた時期の
少年にとって記憶から消しがたい
想いということだろうか。
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今はすっかり死語になったが、
終戦から数年間、「パンパン」
という言葉が世間に定着していた。
まさに日常語であった。つまり、
進駐軍の兵士を相手に春を売る女性
たちのことである。主に日本の女性
だったと思うが朝鮮の女性も多く
いたという。
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「パンパン」という言葉の由来に
ついては、今もって分からない。
pompomという性交を意味する
英語からきた、という説もあるし、
インドネシア語で女性を意味する
prempuan、プロムパンの
アメリカ訛りと言う説もある。
また、ペンペンという三味線を
表わす擬音語を進駐軍の兵士が
使ったのが日本人にはパンパンと
聞こえた、というもっともらしい
説もあるらしい。
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まあ、それはどうでもよいとして、
パンパンの存在は、終戦直後の
街の風俗になっていた。小倉の
街もその例外ではなかった、
ということだろうか。
彼女たちは、当時の紫川に架かる
常盤橋付近に、夜ともなると
たたずんで相手を誘った。相手は
日本の男ではない。進駐軍の兵士
である。日本の男たちは、見ても
見ぬふりをして素通りしていたし、
女性たちも声をかけなかった。
当時の日本の男たちは、敗戦の
落胆感、占領軍であるアメリカ人
に対する劣等感もあり、おまけに
極度の逼迫した衣食住などが
もたらす生活苦から、セックスの
欲望は二の次になっていた、
ということだろう。
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実際、当時のパンパンというのは、
同じ日本人という意識はあっても、
なにか自分たちとは異質の世界の
住人のように思えたものである。
真っ赤なルージュ、背中が大きく
割れて肌が丸見えのドレス、
金色に染められたヘアー、それに
踵がいやに高い赤やピンクの
極彩色のハイヒール、そんな女性
たちが、昼の日なか進駐軍の兵士と
お互いに手を腰に回しあって、
繁華街を闊歩していた。
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特に、中にオンリーといわれるのが
いた。これは、兵士の中でも
将校クラスの専属で、その将校しか
相手にしない、いわゆる囲い者と
いうところであった。彼女たちの
生活は豪奢で、その将校の力で
住居をあてがわれていたのは勿論、
PX(基地内の兵士専門の売店)
で購入した、およそ当時の一般の
日本人が眼にすることも
できないような食品、日用品が
与えられていた。
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大人たちはそのような
女性たちを賎業に従事する者に
対する、昔からの意識から軽蔑
したが、その一方で
現実の自分たちの生活に比べて
物質的に豊かな彼女たちを
羨望の目で見ることも多かった。
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しかし、いずれにしても、
彼女たちのお陰で一般のいわゆる
良家の子女が辱めを受けずに
済んでいる、ということの認識は
大勢を占めていた、と言うことは
できる。私の両親も、彼女たちを
強く蔑視していたものの、
このような女性たちの必要性は
理解していた、とたまたま傍で
聞いた両親の会話の断片から
想い起こせる。
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実際、当時の政府は、進駐軍を
迎えるに当たって、日本の子女を
その兵士から守るにはどうしたら
よいか、ということを真剣に
問題にし、策を論議した、という
記録がある。進駐軍からも進駐に
当たって対応策を講じるよう、との
要請があった、ということである。
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つまり、彼女たちは世間から蔑視
されたとしても、国策に協力し
日本の一般の子女の防波堤に
なったと言うことであり、実際に
そのことを密やかに主張する
彼女たちがいたし、声高に口にする
大人たちも多くいた。しかし、
進駐軍による日本子女の性的暴行は
多発していた。その重大な事件性の
あるものは、当時の新聞も報道して
いた。ただし、犯人はいつも
「背の高い大男」ということである。
これが、シャーナリストとしての
良心の精一杯の抵抗であったと
いうことであろうか。
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このようなパンパンたちと進駐軍の
実態を、私が少年の時期に初めて
見聞して、これが、被占領地には
売春婦が生まれ、その彼女たちと
占領軍兵士がかかわり合うという
特に珍しくもない常態なのだ、
というような意味のことを、
まだ年端のいかない私には
難しい表現は出来なかったが、
なんとなく理解したものである。
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戦場での軍隊のセックスの処理の
問題は、古今東西を問わず、いつも
ついて回る問題である。明日の命を
保証されない血気盛んな兵士が、
たまたまの安らぎのひと時を得て
考えることの唯一が、女性との
性交渉であっても決して可笑しく
ないし、誰も非難できない。
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ただ、その対応の仕方が、国により
あるいはその軍隊により違っていた
ということはあるに違いない。軍律
の厳しい軍隊は、戦場での現地人の
女性に対する不法な暴虐行為を
防ぐために、軍の命令として職業的
女性、つまり売春婦を専門業者に
ゆだねて一定の施設に集めて、その
運営を厳しく管理させる、という
例も勿論あったに違いない。
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その一方で、軍が管理して兵士に
供するということの無いケースも
あったろうし、そのような場合
は、自然発生的に兵士の周りに
その種の女性が群がってくる、
ということになったであろう。
その女性たちは、現地の人たちで
あったり、またその軍の母国から
はるばる流れてきた人たちで
あったりしたと思う。
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現に、戦中に日本から東南アジアに
流れていった女性たちの話が小説や
映画になって、戦争がもたらした
悲劇として、巷間を賑わした時期が
あった。また、過去の世界大戦では
兵士は被占領地の女性を個々に
おいて勝手に調達することを
軍規にしていた国もあると聞く。
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要するに戦争があれば、戦場での
兵士のセックス処理は避けて
通れない問題であって、その欲望
が満足に満たされない状態で
あると、現地女性への不法な暴虐が
起こるのは必然ということだ。
世界のどの国であっても、
戦地での兵士のために売春婦を、
手段の違いはあっても調達
してきた。そこにはいろいろな
悲劇があったはずである。
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だから、このように考えてくると、
昨今、先の戦争で戦地での日本軍が
売春婦を必要とし、その関わり合い
が世界に類を見ない特殊なもので
あった、かのような非難、中傷が
盛んに為されているが、これは
全く不当な言いがかりというべき
ものであり、或る目的を持った、
ためにする行為だとしか思えない。
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⇒●文章引用元URL●⇒
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終戦当時、街には進駐軍を
相手にする日本女性がいた。
:老いゆきて、想うこと
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